「離れているものを、しかるべき形でつなぎ直す」——柴田玄一郎さんが育てる“すごいたね”とは
一言で説明できる人と、そうでない人がいる。柴田玄一郎さんは、明らかに後者だ。デザインを学び、ビジネスの現場を経験し、クリエイティブの実践を重ね、子どもの発達支援、地域文化、組織開発、さらにはスポーツの越境支援にまで活動領域を広げている。その歩みだけを見ると散漫に映るかもしれない。だが、話を聞いていくと、それらはばらばらの点ではなく、一本の思想でつながっていることが見えてくる。
その思想を端的に言えば、「必要なのに離れてしまっているもの同士を、もう一度つなぎ直すこと」である。人と人、人と場、人と文化、人と可能性。そのあいだに適切な仕組みをつくり、言葉を与え、出会い直せる環境を設計する。それが、柴田さんの仕事の核心なのだと感じた。
| 項目 | 内容 |
| 氏名 | 柴田玄一郎さん |
| 主要な活動領域 | 法人向け研修、地域玩具の開発、奄美大島の祭りの継承支援、ペタンクを通じた越境接続 |
| キーワード | 環境デザイン、自己変容、翻訳、インターフェース設計、伴走支援 |
| 記事の主題 | 多様な実践を貫く「つなぎ直す仕事」の本質 |
肩書きより先に、人となりが伝わる人
柴田さんの話を聞いていてまず印象に残るのは、自分を既存の肩書きにきれいに収めようとしていないことだ。かつては「現代芸術家」と名乗ることもあったというが、その言葉だけでは収まりきらない違和感を、ご本人も周囲もどこかで感じてきたのではないだろうか。実際、彼の仕事は作品をつくることにとどまらない。見る側の価値観を揺さぶり、環境の構造を変え、人が別の行動を取りたくなるように場を設計するところまで射程に入っている。
だからこそ、柴田さんの魅力はプロフィールより対話の中で立ち上がる。何をしている人なのかを知るより前に、なぜその仕事をするに至ったのか、どんな問いを抱え、どんな違和感を放置しなかったのかを聞くことで、人物像が立体的になる。肩書きで理解するより、思考の軌跡から理解したほうがよくわかる人なのである。
「種を渡す人」から、「土をつくる人」へ
柴田さんが代表を務める「すごいたね」という名前には、彼の仕事観がよく表れている。もともとは、まだ誰も植えたことのないアイデアの“種”を見つけ、それを相手に手渡すことが自分の役割だと考えていたという。けれども近年、その認識は変わった。種がどれほど良くても、土が整っていなければ育たないし、水やりをしなければ芽は出ない。つまり、アイデアだけでは現実は変わらない。
この気づきは重要だ。企画や構想の世界では、優れた発想を出す人はしばしば称賛される。しかし、実装や定着の段階で失速する例は少なくない。柴田さんはその難所を、自身の苦しい時期や自己変容の経験を経て、より深く引き受けるようになった。いま彼が届けているのは、発想そのものではなく、発想が育つ環境まで含めた伴走なのである。
| 以前の捉え方 | 現在の捉え方 |
| 「すごい種」を見つけて渡す | 種に加えて、土づくりや水やりも支援する |
| アイデア提供が中心 | 実装・定着・自己変容まで伴走する |
| 相手に委ねる比重が大きい | 一緒に形にする責任を引き受ける |
法人研修で起きているのは、知識の注入ではなく自己変容だ
柴田さんの実践領域の一つが、企業や組織に対する研修である。ただし、その内容は一般的なスキル研修のイメージとは少し異なる。現場の課題に対して直接的なノウハウを与えるのではなく、まずリベラルアーツや人類の歴史、映画を通じた人間理解などを入口にしながら、自分の仕事や組織との関係を捉え直してもらう。そのうえで、現場の実践や対話へと接続していくという設計がなされている。
ここで目指されているのは、単なる知識の習得ではない。柴田さんはジョセフ・キャンベルの「英雄の旅」という考え方を引きながら、人が次のステージへ進むためには自己変容のプロセスが不可欠だと語る。つまり、同じ場所をぐるぐる回るのではなく、自分のつまずきや限界を見つめ、そこから一歩踏み出すことが、個人にも組織にも必要なのだという視点である。
この考え方が面白いのは、研修を「答えを教える時間」にしないところだ。むしろ、自分が何に閉じこもっていたのか、自分の仕事をどこまで自分ごととして引き受けられるのかを、少しずつ自覚していく場になっている。結果として、部門や役職の壁を越え、これまで関係ないと思っていたテーマにも当事者として関わろうとする人が増える。柴田さんの研修は、組織のスキルを鍛えるというより、組織の関係性そのものを耕す試みなのだろう。
無個性の積み木が、子どもたちの関係を変える
もう一つ象徴的なのが、発達障害のある子どもたちの現場から生まれた積み木のプロジェクトである。出発点は、「一緒に遊びたそうにしているのに、なぜ遊べないのか」という問いだったという。そこから柴田さんは、おもちゃそのものよりも、環境の設計が関係性を左右しているのではないかと考えた。
現場にある既存のおもちゃは、一点もののように個性が強く、数も限られている。そのため、貸し借りが起こりにくく、独占したい気持ちが強まりやすい。そこで彼がつくったのは、大量にあり、しかも無個性な積み木だった。数が十分にあることで安心して渡せるようになり、さらに一人あたりの持ち数を限定することで、他者に「貸して」と言わなければ次に進めない状況をつくる。そうして、遊びの中で他者と交わるきっかけを自然に生み出していくのである。
この取り組みの本質は、玩具の販売ではない。何を置くかだけでなく、どう遊ぶか、どう声をかけるか、どのような環境で関係が生まれるかまで含めて設計するところに価値がある。つまり柴田さんは、積み木を売っているのではなく、人が関われる環境をデザインしているのだ。ここにもまた、「離れているものをつなぐ」発想が通っている。
| 観点 | 従来のおもちゃ環境 | 柴田さんの積み木の発想 |
| 形状・個性 | ユニークで代替しにくい | 無個性で共有しやすい |
| 数量 | 限られている | 大量にある |
| 子どもの行動 | 独占・衝突が起きやすい | 貸し借りや声かけが起こりやすい |
| 支援の中身 | 物の提供で終わりやすい | 遊び方や環境設計まで含めて支援 |
奄美大島の祭りに見た、「誰一人取り残さない」仕組み
柴田さんが近年強く惹かれているのが、奄美大島の祭りである。そこで彼が見たのは、SDGsのスローガンとして語られる以前から、共同体の中に埋め込まれていた「誰一人取り残さない」仕組みだった。神事にはじまり、歌い、踊り、食べ、飲みながら集落を巡るその営みは、単なる伝統行事ではなく、人々が顔を合わせ、役割を持ち、関係を更新し続けるための社会的な装置として機能しているように見える。
重要なのは、その場に完全参加しなくてもよいという開かれ方だ。踊らなくても、輪に入らなくても、その場に来て食べたり飲んだりするだけでもよい。この緩やかな包摂性こそが、共同体を長く保たせてきた力なのかもしれない。柴田さんはこの文化に感動し、担い手を増やし、外部の人にも学びや体験として開いていくための仕組みづくりに取り組んでいる。
さらに興味深いのは、彼がこの祭りを保存対象として眺めていないことである。むしろ、現代の組織や都市生活において失われた何かを回復するヒントとして見ている。企業研修や組織統合の文脈に、この祭りの構造を応用できるのではないかという発想は、その象徴だろう。柴田さんにとって文化継承とは、古いものを守ることだけではない。いま必要な場所に、別の文脈で再び息を吹き込むことでもある。
スポーツの本場と実践者をつなぐ、越境の仕事
ペタンク(フランス発祥の「地上のカーリング」とも呼ばれる球技です。直径約7〜8cmの金属製のボールを、約30cmの円の中から、目標となる小さな木製ボールに向けて投げ合い、相手より近づけることで得点を競います。体力に関係なく、全世代が楽しめるスポーツとして親しまれています)のプロジェクトもまた、柴田さんの仕事を理解するうえで示唆に富んでいる。フランス発祥のこの競技について、日本の選手たちは本場の大会や現地のコミュニティにつながりたいと思っていても、言語や慣習、情報へのアクセスの壁によって、なかなかそこに到達できない。柴田さんは、その見えない壁を可視化し、接続可能なルートへと翻訳しようとしている。
観光と違い、本当にその文化の中へ入っていくには、単に場所を知るだけでは足りない。誰に連絡すればいいのか、どうやって信頼をつくるのか、どのような文脈で入っていけば失礼がないのか。こうした“あいだ”の部分にこそ、越境の成否がかかっている。柴田さんはまさに、そのあいだを設計する人なのだ。
この視点で見直すと、彼の活動はどれも似ている。企業のなかで分断されている現場と経営、発達支援の現場で交われない子ども同士、地域の祭りと外部の参加者、日本の選手とフランスの競技文化。対象は違っても、向き合っている課題は一貫している。本来つながったほうがよいのに、何らかの理由で離れてしまっているものを、つなぎ直すこと。この一貫性に気づくと、柴田さんの仕事は急に鮮明になる。
これから必要とされるのは、こういう人かもしれない
現代は専門分化が進み、誰もが自分の領域を深く掘ることを求められる時代である。その一方で、領域と領域のあいだにある断絶は置き去りにされやすい。組織の壁、制度の壁、世代の壁、地域の壁、言語の壁。そのどれもが、個人の努力だけでは越えにくい。だからこそ、ただ専門性を持つ人だけでなく、異なる世界のあいだに橋をかけられる人の重要性が増しているのではないかと思う。
柴田玄一郎さんは、まさにそうした存在である。しかも彼の面白さは、橋をかけること自体を目的にしていない点にある。つながった先で、誰かの可能性が開き、関係が変わり、文化が息を吹き返し、組織が少し豊かになる。その変化の兆しに対して、とても誠実である。だから話を聞き終える頃には、「この人に何を頼めるか」という発想よりも、「この人と何かを掛け合わせたら、まだ見ぬ景色が立ち上がるのではないか」という期待のほうが大きくなる。
肩書きで説明しきれない人は、ときに理解されにくい。しかし、そういう人こそ、まだ名前のついていない課題に最初に触れ、既存の分類では届かない場所へ先に行っていることがある。柴田さんの仕事は、そのことを静かに教えてくれる。すごい種とは、単なるアイデアのことではないのだろう。人と人、人と場、人と未来が再び出会うための、小さくても確かな起点のことなのだ。
#2 柴田玄一郎|社会課題を解決する現代芸術家
株式会社すごいたね代表
知育玩具コラボ™ワークショップ講師
メンサ会員 / IELTS6.5 / デザイン専門士
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